1月26日(日)

本日は母校、武蔵野美術大学の卒業制作展にての出来事。

油絵とかを初めに見て回ったのだが、
思った事はラッセンとモネは凄く偉いって事。
そんなのでいいのか?

そうこうしている内に友人から、予ての話題であったパイパン(女性の下の毛をツルツルにする趣味趣向)の語源について、
秋田昌美スタジオボイスに掲載した記事のコピーを頂き、心のモヤモヤが消えました。

イワサキくんも書いていましたが、TOONICEの前身のフリーペーパーを作っていた時、一緒に活動していた(僕は短いですが)友人の作品はかなりオモろかったです。
特にデザイン科全てもプロデュースしてしまったという、コンセプトに対してノイローゼになってしまっている学科、そしてデザイン(?)に対しての怒りが作品に表れてました。彼の作品はさの学部自体に対する批判や怒りであるのに(僕的に)何と優秀賞を贈呈。おめでとうなのですが、教える側が馬鹿なのか、出来があまり良くなかったのか、彼の作品が素晴らしすぎたのか、答えは3番目。とびかくおめでとう。

そして僕の通っていた学部の作品展。
「梨のつぶて」という作品が印象に残りました。
彼女はこれからどんどんノしていく事は間違いない、と思う程才能を感じました。
しかし、最近よく思う事は自分自身を作品に反映させるべきかどうか、という事です。
全てが自分で支配出来る訳ではないのだろうから、
自分自身というのは作品の中でひょっこり顔を出してくるのだろうけど、
自分の性癖やら過去、トラウマなどを
露にするのは何故だか、というか当たり前の事だけど、抵抗がある。
そんな事言ってる場合ではないのだろうけど。
先程書いた作品は
自分の性癖?やらトラウマのようなものを全面に出しながらも
素晴らしい才能で完全に表現、それも極上の表現にしている。
自分自身という厭らしいものも、完全に突き抜けてしまえば、
美しい事、
分かりきっていた筈のことを今さらながら思い返させてくれた作品でした。

この文章はコラムでも批評でも何でも無い為、読みにくかったり、適切でない表現が沢山でてきます。文の構成も何も考えていないので身勝手な事を言っておりますが、
今回の2作品は本当に感動したという事をここに記します。

明日も6時起き、今は深夜2時。