8/31(wed)

真っ黒な影が校庭の砂の上に落ちている。
高校時代サッカー部に所属していながらも友達が全くいない、
という状況で、部員が皆帰るまで一人校庭で練習していたのを思い出す。
ヤンキー話の武勇伝を聴くのはもううんざり。
決まって脳をよぎるのは放課後のランデブーの妄想、
そのうち、この不毛な個人練習を傍目から見ていた女子が胸を打たれて、
焼けるコンクリートの影からいつか現れ、そして告白…。
そんな頭悪い地方の高校生が考えそうな夢だけを夢見て毎日アホのように好きでもないサッカーに貴重な時間を裂いていたのだ。
貴重な時間とはいえ、家に帰っても何もすることがないので、ただ運動をしていただけと考えると今更ながら悲しい。バイトをしてレコードをディグったり、アウトロー文学に胸打たれてそういう本を読みあさるのもよかっただろう。
しかし現実は東京から片道2時間という微妙な土地の中で自分は何も見つけられずにいた。心の支えなんか一つもなかった。WHOのマイジェネレーションだとか、映画「大人は分かってくれない」だとか言いたいけど、本当に何もない。上記したものは聞いたりしているかもしれないが、その時の自分の心は掴むことはなかった。映画や音楽など芸術の類いを心から受け入れるということをまったく出来ない自分が美大に行ったなんて今でも良く分からないことだ。
衝動も感動もなにもなかった生活。

そんな事を思い出すきっかけになったのが、僕の地元茨城県が生んだ最大の文化人映画監督柳町光男と同じテーブルで酒を飲んだことだ。因みに深作欣二も茨城出身。酔って茨城弁で喋れと言われるが喋ることが出来ない。その時ハっとした、その土地の文化が自分の身体に全くしみ込んでいない。良く上京する時新しい場所に入る時地方出身者は方言が出ないよう気をつけて喋るだろうが、自分は何故か方言は小さい頃からなく、全く可愛くない地方出身者。免許証なしでは故郷なんてないも同然。という訳で柳町監督の新作「カミュなんて知らない」は相当おもしろそうだ。
このカミュはもちろんアルベール・カミュのことだが、高校時代に気分だけで読んだ。その時の感想は憶えていない。その後20歳くらいの時にもう一度
「追放と王国」「異邦人」を読んでかなりおもしろかった記憶があるが、それはもう大学に入学していた、こんなクダクダ長い間文を書いて分かった事は、つまり自分という人間は結局回りの環境云々でないと感動も衝動も得られないつまらない人間なんだ、という事です。
こんなネガティブな前置きからこんな言葉も嘘っぱちに聞こえるかも知れないが、やれることは何でもやるぜ。
蝦名くんのニューバンドDischarmong manと
なのるなもないのCDも非常に情感溢れる良い音楽でした。
しかし暑い。


宮崎あおいが好きだ、大好きだ。
EYESCREAMの写真は凄く可愛い。
もう可愛いとか、綺麗とかそういった類いの言葉では表わせない、いつ見ても息が出来なくなる。次のページの長澤まさみなんかじゃ格が違う。一日に一度見ないと調子が出ない。

とこんな事を思っていると既に夏。そして夏も今日で終わる。
今年の夏は映画「埋もれ木」を2回見に行った。
そしてサマーソニックにも行った。
BREAKfASTとSAKEROCKのツアーにも行った。
夏は嫌いで、秋は大好きだが、
今年ほど夏が終わるのが悲しいこともない。
それではまた。