2月3日

あ、今日は多摩美の2部の卒業製作展が渋谷であります。という訳で朝、東京から帰って来ました。お目当ては久保田穣くんという人のTHERE IS A LIGHT THAT NEVER GOES OUTのドキュメンタリー「光源」という作品。自分に多大な力を与えてくれた音楽へ、自分なりの最大級の返答。そのように思えた。映像の世界でこのような音楽との関わりは日本には殆ど少ないと思うし、やるならやるで、自己満足の垂れ流し、もしくは、未熟故に完成度が低いものになってしまう。しかしこの作品は違う。ドキュメンタリーとしての意義。カメラを向けても、登場人物の生理としての即興的なセリフが出て来ていること。そしてこの映画の最も特筆すべき点は、カメラだ。彼の目線は自分の、または作家の自我や内のにある想像力をどう具現化するかという事ではなく、自分が対象を見つめてそこでどう感じたり、何を発見するか、という事に近いと思う。ただ、自分のみたいものをありのままに撮っても、単に自分自身の興味と好奇心だけで状況に反応しているところを見せるのではなく反応してしまっているものがつい見えている、というように撮っている。カメラマンとしては理想だ。やっぱり被写 体が良すぎる。ゼアイズのメンバーの世界、社会との接触。その中での、自らの表現は何処から来て、何処へ向かっているのか?それは僕らを含め、大抵の表現活動をする若者は誰もが思うことだ。 彼等はそれを隠したり、茶化したりせず、正面から見つめている。そこで作者の視点とゼアイズのメンバーの視点が正面 から交わったように思える。本当にエフェクトなんかかかってない、生の声、表情だ。よっぽどの時間のフィルムを費やしたに違いない。そしてゼアイズの音楽を作者が理解というか、しっかりと身体で感じてる証拠だと思う。本当に良い作品だ。かなり嫉妬します。ただ40分という尺では据えられないものも数多くあったと思う。もっと詰めるところを詰めて、延ばすところを延ばす、最後の仕上げを頑張って欲しいです。今度は是非一緒に作品作りましょう。あ、あと教授の詩人で映像作家の鈴木志郎康がゼアイズのCDを買って行ったのはおもしろかった。ゼアイズもさらに好きになりました。