6月14日(金)

ワールドカップが始まり、
毎日サッカーが見れるのはなんて幸せなんだろう。
日本2ー0チュニジア
試合については特に言うべきことはない。選手交代は見事決まり。中田と稲本を休ますこともできたし。これで次はトルコ、そしてスウェーデン
友人がいつか言っていた言葉「とうとう、日本にもこんな日がやってきた、、。
イナモト、ナカタ、オノ、、ナカヤマ、以外、footballのことなど、
何も知らないやつばっかですが、
まずは、とりあえずは、いい!」
バカばっかりだが、こんな日はもう2度とこない、ハレ−彗星見るよりも全く実感ある出来事なのだから、湧いていいでしょう。

とまあここまではいいのですが、
先日ロシア戦を友人の家で観戦した帰り道での事、
友人と2人、日本サポーターのおかげで井の頭線のあまりの混雑ぶりに多少腹を立て、
下北でその友人と別れ、僕はなんとなく独りのさもしい心持ちになって帰宅し、メールを開くと、先程別れた友人からのメールが僕を失意のどん底に陥れた。
もちろん青い服を着て
日の丸が描かれている
鼻ぺちゃ のっぺり ヘこみ顔の彼女の青臭い二の腕には
『 くたばれ ロシア 』
の文字が赤々と大きくペイントされちまってるんです。
かわいらしい、何の気なしに書かれた文字のようでした。
これはその友人からのメールの抜粋だが、彼は後頭部が熱くなり、吐き気を催したようだ。
自国開催という事で盛り上がるのは分かるが、
アジア杯、コンフェデなど様々な国際杯ではあまり興味を示さず、
回りが盛り上がっているから、
報道、政策などでワールドカップ一色だから、
オレもアタシもという、
普段全くサッカーの事を想っていない人達が熱狂するこの祭典、
僕は、全く賛成できません。
愛国心などの強固な思想では全くなく、
なんとなくに似た弱々しい思考に他ならない。
そう思うのです。
本当の強固な思念であったらオッサンもオバチャンもオジイチャンまでもが網羅するものでしょう。
しかしそういう人間がいればこそのスポーツだし、
商売であるし、しゃーないというのが現状で、
何者でもない自分は何も口出しする事ができない。
道端でヘタクソな自称音楽家が鳴らす心苦しい音が我々の気分を逆撫でします。
しかし本人達はそれを楽しんでいるのだろうし、
音楽というものに何の罪もない。
精神的な迷惑は罪になりづらい。騒音しかり。

僕の音楽や映画の嗜好も2,3年前までは同じでどうしても大衆レベルの評価を得ているものは好んで聞く事が出来ない。ちょっと時期をずらすか、隠れて聞いていたりしていました。
本質は遅れてやってくるのだろうし、こんなワールドカップ一色の時期に熱心に阪神を追っかけてるファンのように、誰も見知らぬものに対する個人的な愛情こそリアリティを感じる。例えば今もかわらず真剣にアースシェイカーを愛しているような人がいるならその人のアースシェイカーに対する愛にこそリアルなものだ。
それくらい日本にサッカーは根付くのか?多分無理だろう。

くたばれロシア。
そう書かれている事を知った日本在住のロシア人は多分その事に憤慨するでしょう。
しかし逆に異国の地でくたばれ日本と書かれている事を知った日本人はきっと愛想笑いですませるでしょう。そのような薄っぺらな愛国心をぶら下げて闊歩する我々日本人が戦争に突入する事はないでしょう。ただもうやつあたりするくらいしか、自由は残されていないのだから、もっと道行く人に苛立ち、モテはやされる人間に嫉妬して生活するしかない。
僕はロシアの風土や人間、(映画の中でしか知らない)が大好きなので、本当にくたばれ日本、と思ってしまいたくなる程、
ヤツらの期間限定の愛国心をブチ壊してやりたいです。

しかしそれもまた愛と言えば、
そうなので僕は何も言う事が出来ません。
彼等も日本人としての生を生きている。
そう思ったら情けなくなる一方何も言えません。
僕は映画と音楽がこの世になかったら、
可愛い嫁さんを死ぬ気で見つけて、
長野の山奥の、若者が1人もいないところで、一つの村を救う為に生きたい
と本気で思っています。

こんな卑屈な文章大嫌い。